ABOUT DANIEL MARI

2011/10/19
NY アッパーウェストサイド、セントラルパーク近くのオフィス兼自宅にてインタビュー


Q:とても素敵なオフィスですね。
A: この建物は1890年の建築です。一本向こう側の、ジョン・レノンが住んでいた「ダコタハウス」のちょっと後に完成したんだそうです。
1階と2階を吹き抜けにして天井を高くしてオフィスとして使っています。
2階の奥から3階以上は妻と娘と住む住居なんですよ。

Q:ファクトリーはどちらに?
A: NY郊外のクイーンズ地区にあります。ここからはそんなに遠くないですよ。
ファクトリーには6人の職人がいるのですが、私は普段はオフィスにいて必要な時に電話で指示を与えています。

Q:簡単にご経歴を教えて頂けますか?
A: 私の生まれたMARI一族は1600年からイタリアで楽器用の弦を製造していました。その時代から今日までMARI家の唯一の家業は楽器用の弦の製作です。私はそのことをとても誇りに思っています。
生まれたのはイタリアです。イタリア人として戦争を体験し、1946年、19歳で渡米しました。すでに父の世代からここニューヨークに移民していたので私もこちらに来たというわけです。
それからは弦の製作一筋ですね。 MARI家のブランドとしてLabella(ラベラ)ストリングスがありますが、私はLabellaの技術マネージャーとして近代的な弦の生産方法を確立したと自負しています。
50年代からFender やGibsonなどにも私が製作した弦をOEMで供給していた時代もあります。1960年代にはクラシック・ギターに関わる仕事で半年ほど日本に滞在していたこともあるんですよ。
その後、Labellaの仕事は実妹に任せて1970年から自らのブランドを作って現在にいたります。
楽器用の弦なら何でも作りますがやはりクラシック・ギターの引き合いが多いですね。ヨーロッパ、アメリカ、南米が主な出荷先です。
小さな会社、小さな工場で少量ロットからキチンと生産することをモットーとしています。

Q:ジョン・レノンやジミ・ヘンドリックスなど、ここニューヨークを拠点に活動したミュージシャンと交流があったそうですね。
A: ええ。ジョンとは彼がビートルズ解散後、ニューヨークに移り住んできてからの付き合いです。
ご覧の通り家が近所なこともあって、各種のギター弦を使ってもらっていましたよ。 一時期は私の製作したエレキ弦を例のRickenbacker325に使っていましたね。ショート・スケールですから特殊なコンビネーションでセットを組んだと記憶しています。
1980年のあの日、夜遅くなってから私が車で帰宅すると、人が数人「ダコタハウス」の玄関に駆け寄っていくところでした。ちょうど彼が撃たれた直後だったんです。その時はそんな大事件だとは思ってもみませんでしたね。あのジョンが、と思うととても悲しい気持ちになりました。

Q:ジミ・ヘンドリックスはどんな人でしたか?
A: 彼はやさしくてとてもいい奴でしたよ。少し飲みすぎのきらいがありましたがね(笑)。
ダウンタウンに有名なエレクトリック・レディ・スタジオができた頃、よくそこで彼と飲んだものです。
昼間っからずいぶんと飲んで、そのあとさらにジンのボトルを持ってきて、「さぁ、ダニエル。もっと飲め」っていうものですから、「いや、もう十分飲んだよ、ジミ」と断ると、「お前さん、いつからそんなSquare(かたぶつ)になりやがった?」って言うんですよ(笑)。
イタズラ小僧の様な笑顔でSquare,Squareって言って面白そうに笑っていましたね。もう40年以上も前の話ですがその光景や彼の笑い声を今でも思い出しますよ。
ジミがよく通っていた48丁目のManny's Music(老舗の楽器店)も何年か前に閉店してしまい、残念ですね。

その頃、ジミは私の製作した10-46のエレキ弦をサウスポーのStratocasterに使っていました。
そういえば、60年代当時、楽器店ではギターの弦というのは大きい箱に色々な太さの弦が沢山入っていて、自分で6本選んで買うのが普通だったんです。それをジミが「どうせ6本買うんだから最初からセットにしておけばいいじゃないか」って私にアドヴァイスしてくれたんですよ。それで私はこの業界で初めてギター弦のセットというものをパッケージして売り出したのです。
ジミには私がセレクトした010,013,017,026,036,046をワンセットにして届けていましたね。

Q:それはすごいお話ですね。
A: そのほかにもエルヴィス・プレスリーに私の弦を使ってもらったり、先ほども言いましたが、50年代にレオ・フェンダーに依頼されてフェンダー・セールス社が発売していたフェンダー・ブランドのエレキ・ギター弦をOEM製造していたこともあります。60年代にレオがフェンダー社を離れるまで続いていたと記憶しています。その頃はギブソン社とも同様の仕事を行っていました。
ロックンロールのサウンドは私の弦から生まれたと言ってもいいでしょうかね(笑)。

Q:まさにそうですね。音楽史の影の立役者とも言えるのではないでしょうか。
ところで、カタログを見ますとフラメンコ・ギターのプレイヤーが多く使用されているようですが。

A: 大分前に亡くなってしまいましたが、フラメンコ・ギターの巨匠、サビーカスをご存知でしょう。彼もスペインからここニューヨークに移住してきましてね。私ととても気があって、いわば親友といってもいいでしょう。
彼も私の弦を大変気に入って愛用してくれました。 そのおかげでフラメンコやクラシックのプレイヤーにも私の弦が使われるようになったのです。

Q:あなたのクラシック・ギター弦の響きはとてもふくよかで美しいと思います。何か秘密はあるのですか?
A: 秘密はたくさんありますよ(笑)。
クラシック・ギター弦は正しいピッチを維持しながら各弦の音色、音量のバランスが最も美しくなるようにしなければならない、と考えています。
具体的には、巻弦のE,A,D弦それぞれで、材料となる複数の金属の配合分量を変えているのです。
いろいろ試してみて、最もバランスのよいポイントに落ち着くように工夫しています。
聞くところによると、最近はメキシコを中心に私の弦のコピー製品が出回っているらしいのです。南米には北米やヨーロッパとはちがったクラシック・ギター弦の需要が多くありますのでね。
そのコピー商品は、パッケージなどは私の製品よりもよっぽど立派らしいですよ(笑)。
でも一度使ってみれば誰にでもそれが私の弦がどうか違いがわかると言うのです。 それはそうですよ。パッケージはコピーできても音はコピーできません。
私の家系は400年以上も楽器用の弦を作ることで生きてきたのですから(笑)。